2007年4月16日 (月)

違いが分かる・・・

070415_175248_m 日曜日から統一地方選挙後半戦が始まった。もう一人の尊敬する友人の応援に、佐賀県の端まで車を飛ばした。

わたしの住むみやき町は田舎なので、どの家も敷地面積が広く、そこに大きな家がゆったり建てられている。友人の住む町も、どうやらあまり地価は高くないらしく、古くからの市街地以外はどこも敷地が広い。そこに、一目で建売とは違います、個性を主張したいんですって感じの家がずらりと並んでいる。おんなじ佐賀県でも大きな違いだ。

敷地だけではなく、町全体が広い。どこまで行って果てがない。端から端まで1時間近くかかるそうだ。みやき町とは違うなぁ。選挙カーの窓は、雨が降ろうが風が吹こうが槍が降ろうが、基本的には全開にして走る。日曜日はとても寒くて、窓から出している左手が冷え切ってしまった。

町は広いが、選挙事務所はこじんまりしていて、彼女のファンですと心のそこから思っている人たちが集まって、とても温かな雰囲気だった。そこに朝はなかったパソコンが、4,5台並べられ、事務作業をしている。ウィンドゥ95の入ったパソコンに久し振りにお目にかかった。分厚いお弁当箱のようで、ああ、そうだったと懐かしく思い出した。

何の役にも立たないわたしだが、入力ぐらいはできるかなと、パソコンの前に座る。黄金の右手人差し指がまだ痛くて使えない。普段でもゆっくりなのに、ますますのろいスピードでキーボードを打つ。あ~、何しに来たんだか・・・。兎にも角にも彼女の健闘を祈っている。

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2007年4月 9日 (月)

散る春

いやなことがあったときは「今日が最低だ、明日から上り坂だ」と、けなげ(?)に思うことにしている。スライサーで手を切った翌日、空を飛んで傷だらけになったときも自分にそう言い聞かせた。これ以上い悪いことは起こるまいと思っていたが、そうではなかった。

尊敬する友人が、佐賀県議選挙に立候補して、情ではなく政策を訴えて9日間戦った。開票を待つ事務所のテレビに開票を待たずに当選を決め、大写しにされる某知事。選挙中の低姿勢とは打って変わった傲慢さ。子どもに権力を持たせてはイカンのだよ。子どもに見えているのは自分の周囲10mだけなんだから。

開票情報が刻々と入って、残念な結果となった。何の役にも立たなかった自分にも腹が立つ。政治はいつも生活に直結している。仲間内の論理ではなく、客観的な議論が求められる。それができる人だから、ぜひ活躍して欲しいと願っていたのだが・・・。

本当に残念だ。あの選挙区の人たちが、失ったものの大きさを知るのはこれからだろう。

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2006年12月20日 (水)

100円>180円

180円の贅沢ラムレーズンはおかげさまで順調に売れている。見学に来た小学生が、80円のチーズフランスに「安い」と驚くくらいだから、ちーず屋一同が考えるほど、180円って高価ではないのかもしれない。もう少し推移を見守りたい。

Dsci0334新旧の携帯電話。デザイン性の強いストラップは必要ないが、落下防止のクリップは必需品だ。写真ではよく見えないが、青い色(グレーが良かったのだが、青しか残っていなかった。ビンボー人に選択の余地はない)に合わせた刺繍糸にトルコ石のビーズを編みこんでクリップをつけた。

もちろんいつもお世話になる100円ショップのストラップから付け替えたクリップだ。ところがそのクリップが止まらない。かがんだ拍子に胸ポケットの携帯電話は落ちる、落ちる。止めるという役目を果たさないとなると、その100円はまったく莫大な無駄ということになる。

180円より無限大に高い100円。それに投資できるわたしって、お金持ちなのかもしれない!?

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2006年9月15日 (金)

大河と小川と野の花と

Dsci0040_3 葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり (折口信夫・短歌を詠むときは釈ちょう空なのだが、ちょうの字がでない)短歌なのに句読点。啄木は短歌を3行に分かち書きした。

自分の思いが一番伝わる表現方法を二人は工夫したということだ。5・7・5・7・7の定型を大きく外れても、本人が短歌といえば短歌だし、季語がなくても本人が俳句といえば俳句だ。

そうすることによって定型の安定感、季語の大きさが改めて認識できる。異なったものがあってこそ、対立するものの本質を確認できる。

自民党総裁選挙というコップの中の嵐で、具体策を語らぬ方へと大多数が流れていく。パンの焼ける甘い匂いしかかぐことのないこの鼻先に、なにやらきな臭さが漂う。

最後の清流とよばれている四万十川は、わたしには小さなときから親しい川だ。ゆったりと流れる大きな川のたたずまいも、小さな魚をすくったり、石を投げたり、隅から隅まで知り尽くした小さなせせらぎも、どちらも大切なものだ。

あるものだけが100で、後はすべて0という流れは、とても危険だと思う。わたしはビール(擬似ビールを大いに含む)以外は飲まないが、日本酒やウィスキーも、それを好む人にとってはおいしいお酒で、それでいいのだ。

あまりよく分からないたとえになってしまった。別に酔っ払っているわけではない。たまには、素面で社会を語りたい秋の夜だ。

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2006年6月11日 (日)

お子ちゃま

Dsci0005_2 ちーず屋の駐車場には、もう1種類紫陽花がある。楠の陰に隠れてひっそりと控えめな遅咲きの紫陽花だ。ほかの2種類だけかわいがってるわけじゃないからね、君もきれいだよ。

日曜日の朝は、1週間分のニュースをまとめたテレビ番組がいくつかある。「僕を嫌いなのは僕が金持ちだからでしょう」という例の映像がどこでも繰り返し流される。華麗なる学歴、職歴をお持ちの村上さん、悪戦苦闘中の小さなパン屋のおばさんが言うのもなんだが、それは違ってるよ。

あなたの中には他者、つまり自分と別の人格と生活を持った人たちの存在がない。客観性がないと言い換えてもいい。要するに”お子ちゃま”なのだ。

”お子ちゃま”が、日本で一番の権力であるお金を莫大に持っていることに、額に汗して働くくたびれたおじさんおばさんは、なんだか落ち着かないのだよ。額に汗して働くことだけがすばらしいと思ってはいない、平等であって欲しいとは願うが、平等ではありえないということも、おばさんおじさんは知ってるつもりだ。

人生の先輩として、多層な構造を持つ社会の一員として、ちょっとつぶやいてみたのだが、年寄りの独り言といったところだろうね。

Dsci0004_3 今日一日で、みやき町の風景が大きく変わった。麦から稲だ。田んぼには水が張られ、去年と同じようでいてまったく違う秋までの連続ドラマの始まりだ。

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